プロジェクト MURAYAMA

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はじまりは はじまりは

遠い未来は今ここに在る

小さな命が蘇ることで
地域全体に豊かな生命の風が流れる。
無数に散らばった様々な人の想いを
ゆっくりと汲み上げ、大地に撒く。

プロジェクト MURAYAMAの構想。
それは時間や空間の大きな流れに
そっと手をさしのべる温かな勇気が宿っている。

プロジェクト MURAYAMAが始まったキッカケ、
現在の状況、そして未来への構想とは。

このプロジェクトMURAYAMAのそもそものキッカケは、真如苑が誰もが心癒され、やすらぎを感じ、活力を取り戻す空間を考えていたところに端を発します。ちょうど、真如苑の中心施設である総本部や当時、建立を考えていた応現院という施設から、とても近い場所に広大な土地が売り出されることがわかりました。その土地は日産自動車村山工場『ケンとメリ-』のスカイラインを製造していた工場の跡地です。

当時、日産自動車はゴーン社長のリーダーシップのもと、経営合理化を進めるなかで、この工場を閉鎖し、土地を売却する方向性が生まれたのです。そこで2002年に「私たちは宗教法人ですが、土地を売却する可能性はありますか」と日産自動車さんに打診したところから始まりました。

バブル崩壊後のどん底の状態でしたから、日産自動車さんとしては、土地の購入希望者が現れるかどうかが大きな問題だったようです。私たちは一般市民の方も含めて、基本的に開かれた場所として使っていく構想であることをご説明し、徐々に理解していただけるようなり、実現したわけです。

<これまでの経過>

1999.10
「日産リバイバルプラン」により村山工場の閉鎖が発表される
2001.8
日産自動車村山工場跡地利用協議会が設置される
真如苑は専門家によるプロジェクトチームを立ち上げ計画検討に着手
2002.3
跡地全体(140万m2)の75%を購入(跡地利用協議会に参加)
2003.3
跡地利用協議会の「まちづくり方針 」公表
2006.11
「プロジェクトMURAYAMA」の整備基本計画概要を公表

森自体が、きちんと自立し、
持続可能な状態を維持できるように作っていく必要があります。

大地の力を信じて

工場跡地全体の広さは約140ヘクタールで、東京ドームの28~29個分あります。私どもが求めさせていただいたのは、そのうち4分の3、東京ドーム23個分です。広さを比較すると、奈良の東大寺の南大門から正倉院まで、それから奈良県庁から二月堂まで、それに匹敵するくらいの大きさです。その広大な土地を前に私たちが思ったのは、「まず森に戻そう」というプロジェクトです。

歴史を紐解いてみますと、宗教的な建築物や宗教的なエリアは、非常に長い時間をかけて造営されていることが多く、ガウディのサグラダ・ファミリアは100年以上に渡って建築がすすめられています。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂も数百年かけて建造されたものです。そういう意味で、この場所も世代をまたいで、何百年もかけて築く心意気をもっていこうという方向性が決まりました。

周辺を見ると、村山貯水池や、『トトロの森』といわれる狭山丘陵など関東平野の非常に懐かしい自然体系が残っています。北側には狭山丘陵、南側には昭和記念公園があります。しかし、その自然もいってみれば、人の手によって再生されたものです。そうした経緯を経た土地柄なので、狭山丘陵や昭和記念公園と全く同じものを作っても意味が薄くなってしまう。それではどういう形にすることが望ましいのか。それを課題として、研究を重ねてきました。

また、工場による土壌の汚染除去だけでなく、自然の生態系を蘇らせるためには、土中のバクテリア・レベルから元気にしていく必要があります。 “木を植えました、ホースで水を与えて枯れないようにしています”というだけでは、「緑を再生しました」「森が蘇りました」とはいえません。森自体が、きちんと自立し、持続可能な状態を維持できるように作っていく必要があります。

明治神宮の森 提供:真如苑明治神宮の森

もともとは人間の手によって作られた土地でありながら、今ではそれが意識されなくなってきた好例として、明治神宮の森があります。明治神宮の森は多くの方の献木によって100年に満たない時間で、あそこまで自然に近い森になりました。ここは工場を建てるために造成されていて、地層が自然の状態とは違った状況にあります。それも含めて、よりよい方法を求めて研究を続けている段階です。

可能な限り余地を残す。
自由度を残した形で、次の世代に引き継ぐ。

世代を超えて

プロジェクト全体の大きな考え方は「長い時間をかけて作っていこう」ですが、ひとつの区切りとなる段階を迎えるまでに30年くらいかかると思います。

100年以上かけて完成を目指すプロジェクトはどのように進めていくべきかを考えたとき、20~25年を一世代とすると、完成するまで三~五世代にまたがることになります。その際、第一世代である私たちが詳細な設計図を描ききって、「次の世代はこの設計図通りに進めていきないさい」という考え方は、間違いではないかと思うのです。

世の中は、10年、20年という期間でも人々の意識や考え方が変わってくるものです。最初から設計図を決めてしまうと、後々その時代の人々が惹かれるものになっていかないのではないか。そう考えると、第一世代である私たちが、今現在やるべき仕事は、基本となる骨格の部分を決めることです。他の部分は、可能な限り余地を残す。自由度を残した形で、次の世代に引き継ぐ。第二世代はその時代に求められるものを作り、また自由度を残して第三世代に引き継ぐ。前の世代が作ったものでも、その後必要ないと判断したなら取り除いてもらってもかまわない。それぐらいの柔軟性を持って進めていくことがよいのではないかと考えています。それはまた、宗教に携わる我々だからこそ可能であると思っています。

2009年撮影

[イメージ]

現実にひとつひとつの問題と直面し、それをクリアしていく。
一歩一歩進んでいく。

歩み続けること

今後の大きな課題のひとつとして、今、考えているのは、「いかに地域環境と調和できるか」があります。森を再生すれば、場所によっては薄暗いところもでてくる可能性があります。そのとき安全性をどう確保するか、という問題も出てきます。誰もが安心して歩けるようにするにはどうすればいいか。管理という側面から見れば、周辺を完全に囲ってしまい、決まった通用口からのみ出入りする形が一番管理しやすいことは間違いありません。しかしそれだと、「周辺とのなだらかなつながり」を十分に追求したとは言いがたいものになってしまいます。

また、このプロジェクトが進むなかで、俯瞰して周辺地域との関係を想像した場合、森につながる道に街路樹を植えるなど、心臓と血管がつながっているような、活きた街づくりに貢献することも可能だと思います。しかし、それは私どもの力だけではなく周辺との協力が必要になってきます。

立川市さんや武蔵村山市さんのマスター・プランを拝見すると、「緑」というものを強く意識されています。また、狭山丘陵から多摩川に至るまでの「グリーンのベルト」の構想もあります。私どもが造営しようとしているものは、そのちょうど中間点に位置しています。周辺で行われる事業と、私たちが行おうとしていることの整合性といいますか、上手な協力の仕方といいますか、それができたときに、いい形が見えてくるのではないでしょうか。

また、仮にそうなった場合予想される問題として、緑が再生され住環境としての付加価値が高まると、治水、風水を根本から壊してしまう高層住宅群が周辺に建てられる可能性もあります。かといって、私たちはそれを全面的に排除することはできません。ですから、「やがてそうなる可能性もある」ということも織り込みながら、地域全体のイメージを描いていかなければなりません。

このプロジェクトは、一直線に何かに向かっていくわけではなくて、いろいろな寄り道をし、曲がり道を通りながら、進んでいくものです。そういったプロセスが非常に大切なのだと思います。そのプロセスの中で、地域住民の方々とのコミュニケーションも深まっていくでしょうし、私たちが思いつかなかったような素晴らしいアイディアが生まれてくる可能性もあります。現実にひとつひとつの問題と直面し、それをクリアしていく。一歩一歩進んでいく。歩み続けることが大切なのだと思います。

(真如苑 プロジェクトMURAYAMA)

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